神様、仏様、稲尾様と、ライオンズファンにあがめられた稲尾和久さんは、「還暦を過ぎたら、どんないい女が居てもニ階のクラブでは呑むな。地下にしろ」と、言ったと友達が教えてくれました。
それを聞いて「なぜ?」と、怪訝な顔をした僕に、そのセオリーを教えてくれた飲み友達は、「だってそうだろ。クラブに入って行く時は素面だけど、出て来た時はヘベレケさ。エレヴェーターなんか面倒くさいから、階段を下りようとして、送って来たいい女の目の前で、無様に階段を落っこちるんだ。そそっかしい爺様は、そんな惨めなことにならないように、地下のクラブを撰べと稲尾さんは言ってるのさ」と、鼻をうごめかして言いました。
今から三十年ほど前に、僕に銀座の夜の心得を懇切丁寧に伝授してくれたのは、銀座の主か居候のようだった故樋口修吉です。
昭和十二年生まれの僕は、ついちょっと前まで築地署の少年課の刑事に追いかけられていたというのに、気がついたら紛う事なき正真正銘の爺様になっていました。
ゴルフ場に行けば懐かしい顔に、まだ何人か逢えますが、たまに出掛ける夜の銀座で僕は孤独です。
この頃は山口洋子さんにも銀座ではお目に掛からなくなりました。
泰明小学校のそばのおでん屋さんで、和田アッコさんに御挨拶したのも、もうかれこれ五・六年前になります。
夜の銀座も新旧交代だな、と、僕が寂びしそうな爺い声を出したら、綺麗なホステスが、「銀座で召しあがらなくなると、お歳を召した方はその途端に何とも言えず、失礼だけどショボくおなりになるわ。どなたも……」と、ニコニコ笑って言いました。
それを聞いた僕は、ショボくなるどころか、ますます男っぷりのよくおなりの都知事を思い出して、あの方は、きっとまだ銀座で呑んでいらっしゃると、思ったのです。
昭和四十年代に、ミヤちゃんのガストロに見えていらした石原慎太郎先生は、僕よりたしか五歳も御年長の筈でした。
いくら政治家が歳を取らないと言っても、そこらの縄暖簾で満足している僕とでは、そのポテンツと気の張りに、同じ猫科の動物でも、そこらのゴロニャンとベンガル虎ほどの大差があります。
思い出せば弟さんの裕次郎さんと御一緒に呑んだのは、日航ホテルの裏にあったアカンサスが最後で、灰田勝彦さんも寺部震チャンも隣のボックスに居ました。
心の弾みとときめきを忘れ、見栄も気取りも喪えば、男じゃなくて、煙草を喫って酒を呑む珍しい豚です。
僕は歯を磨くと靴も磨いて、ダブルカフスのシャツを着て、気に入っているカフスボタンを付けました。
何処か、銀座の地下のクラブに行くのです。