私は神戸生まれの神戸育ちです。今でこそ神戸は、お洒落な街の代名詞のようですが、私の幼い頃は、目につくものといえば、海と山・・・。そんなわけですから、東京という都会への憧れは人一倍持っていました。また、その東京の中でも「銀座」というところが、一番華やかで、高級な場所だと聞いていました。ですから、大きくなったら銀座に行きたいというのが、私の夢であり、銀座のある東京へ行きたくてたまりませんでした。でも、神戸のとなりの「宝塚」さえしらない中学生の私にとって、「銀座」は、遠い遠い夢でした。
 中学卒業が間近になったある日、進路に悩んでいた私に、同級生が宝塚歌劇団というものを教えてくれました。それまで「タカラヅカ」を観たこともなかったのに(ちなみに入団して初めて見ました)一もニもなく宝塚音楽学校を受験したのは、タカラヅカに入れば東京にいける――そんな思いもあったかもしれません。
 動機はともかく、私のタカラヅカ生活は、見ること聞くこと初めてのことばかり・・・。眩いばかりの光あふれる夢のような幸せの日々でした。そんな華やかな世界で、みんながパリやロンドン、ニューヨークに憧れる中、私だけは銀座への憧れを密かに育んでいたのです。
 そして昭和四十年。初舞台を踏んで二年目、念願の初上京となりました。東京駅から直行したいほどはやる心を抑え、ついに銀座の街角に立った時の感動と感激は、まるで昨日のことのよういに思い出すことができます。
銀座への私の想いは、恋でした。以来、上京のたびに銀座に通ったのですが、何といっても典型的な「おのぼりさん」。悲しいかな、右も左もわかりません。片思いの年月が流れました。
 そんなある時、連れて行ってもらったNというお店。ママのKさんと知り合い、私の運命が変わります。Kさんが指南役となり、私に銀座を教えてくださったのです。そしてKさんは、熱心な宝塚ファンになってくださいました。それから「銀座」は私にとってますます「楽園」となり、今日に至っています。Kさんとの出会いは、私にとっては神様のお導きのように思えるほど幸せなことでした。感謝しています。Kさんと巡り会えたおかげで、私の「恋」は成就したのですから・・・。
 時代が平成となり、二十一世紀となった今、銀座も変わりました。外国ブランド店が軒を並べています。それを批判する方もいるでしょう。でも、私は嬉しく誇らしく思います。神戸の少女が、舞台で脚光を浴びるようになったように、銀座も国際都市の名に恥じない成長を遂げたのです。
 そして、そんな銀座だからこそ、人はいつの世も、憧れる・・・。
 やはり「銀座」は私の永遠の恋人。





 
copyright 2002-2008 (c) G.S.K (銀座社交料飲協会)