銀座で飲もうという時、別の場所で飲むのとはまるで違う気分になったものだ。要するに、肩に力が入るのである。三十代のはじめまで、私はクラブはおろかバーにも行ったことはなかった。屋台に毛が生えたような店でばかり飲んでいたのは、それが趣味だったというのではなく、ただ貧乏だったというだけの、情けない理由だ。
 三十二歳の時に、はじめて本を出した。それが結構話題になり、出版社の人にレストランで食事をさせてもらった。メニューを見ると、自分の財布では絶対に入らないという値段の店だった。しかもワイン付きであった。私は有頂天になり、出版された本を見た時より、作家になったという気分になった。それだけではなかった。食事を終えたら、銀座に行きましょうか、と言われたのだ。
 流行作家が飲んでいる場所なのにと思ったが、私に言われた言葉だったのである。タクシーの中で、すでに緊張していた。
 店は、クラブであった。看板にクラブなになにと書かれているのを何度も確かめたから、間違いないだろう。中でどうだったのかは、ほとんど憶えていない。初々しいものだった。その店はその後も何度か行ったが、いまはも                
うない。文壇系の店ではなかった。
 その頃から、編集者と会った時は銀座に流れるというのが、半ば習慣のようになった。さまざまな店にも出入りするようになり、売れっ子の作家を見かけるのも、一再ではなくなった。しかしまだ、どこかに見物しているという意識が残っていた。そうやっているうちに、四十代になった。
 ある店で、三十ちょっとの新進作家に会い、光栄ですと言われた。そういえば私も、ある作家と遭遇して紹介された時、まるで同じ挨拶をしたのを思い出した。十年生き残ってきたのだと、そのときしみじみ思った。
 四十代は、思い切り銀座で遊んだと言っていいだろう。銀座を飲み歩くのが、生き残りの証明だという気があり、おかしな表現だが懸命だったのかもしれない。当然ながら、売れない作家、書けない作家を、編集者は銀座に連れては行かない。だから懸命に書いてもいたのだ。単純に自分の努力が見えてくる、不思議なところが銀座の、特に夜の世界にはあった。そこで萎縮せず、堂々としていられるのは、自惚れなどでは駄目で、しっかりした仕事の裏付けが必要だった。そんなところを、銀座の女性たちは実によく見ていたと思う。そんなことも、五十を過ぎたらわかってきた。銀座の夜も、人生のようなものだ。
 いま私が売れず書けずになったとしても、一年や二年は銀座は暖かく迎えてくれそうな気がする。四半世紀近く銀座で遊んだ功労賞をくれるぐらいの度量は、銀座にはあると信じている。そんな思いになるぐらい、逆に銀座の夜は厳しかったといっていい。
 このところ、ようやく肩の力が抜けてきた。いまは自然体で愉しんでいるといっていいだろうか。そうして眺める銀座も、また悪くないのである。
 





 
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