田舎育ちのぼくは、いまだに銀座に行くとアガってしまう。
銀座には地下鉄で行く場合が多いのだが、地下鉄の階段を上がって地上に出たとた
ん、「ウワー、銀座だ」と、アガってしまう。
道行く人々の服装はいかにも銀座風で、顔つきも銀座風、かなわないなあと思うの
は、誰もが銀座を意に介していないことだ。
どの人も、ここが銀座であるということをまるで意識していないように見える。
こっちはもう、ここは銀座なんだかんな、天下の銀座なんだかんな、緊張して転んだりしたら恥ずかしいんだかんな、と、全身カチカチになって、ふと気がつくと、右手と右足同時進行の幼稚園児風オイチニ歩きになっていたりする。
銀座のきらびやかなショーウインドのガラスに写るわが姿をときどき盗み見ては、
(銀座を歩くにはこの足は短過ぎるのではないか。銀座を歩くにはこの鼻は低過ぎるのではないか。銀座を歩くにはこの服装はダサすぎるのではないか。ダサいなんて古くさい言葉がスッと出てくるような人は、銀座を歩くのにふさわしくないのではないか)
と、体の隅々まで銀座を意識してばかりいる。
四丁目の交差点では、信号が青になりきらないうちに渡り始める人もいるが、
(田舎者は出過ぎたマネをしてはいけない)
と、すっかり青になりきってから渡ることにしている。
銀座ではこのように、謙虚でひかえめ、頭を低くしてふるまっているぼくなのだが。
東京都内、どこでもこういう姿勢でいるかというとそうではないところが自分ながら恐ろ恥ずかしい。

たとえば上野、
ここへ来ると態度が一変する。
急に生き生きしてくる。
急に背筋が反り返って意気軒昂、足が短かろうが鼻が低かろうが全く意に介さない。
逆に、どうして上野って足の短い人ばかりなの、鼻が低い人ばかりなの、と、優越感にひたりながら歩いていたりする。
実際に、たったいま上野に着きました、と人目でわかる若者や、おっちゃんがいたるところにいるからとっても気が休まる。
銀座から上野まで駅で言うと四つか五つ。
時間にして十分か十五分。
ついさっきまで銀座でおびえていたのに、四駅か五駅、電車に乗っただけでこれだけ態度を変えるところがわれながら恥ずかしい。
上野の駅のあの大きな交差点では、信号が青になっていないのに、わざとトップを切って渡りはじめたりするのだ。
東海林さだお(しょうじ さだお) |
1937年10月30日生まれ。早大漫画研究会の創設メンバーで、1967年に週刊漫画TIMES『新漫画文学全集』で連載デビューする。
漫画家やエッセイストとして活躍中で、特に連載が長いことが有名。代表作として漫画は、第30回日本漫画家協会賞大賞の『アサッテ君』(毎日新聞)第16回文藝春秋漫画賞受賞『タンマくん』(週刊文春)、エッセイは『丸かじりシリーズ』などがある。
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