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銀座四丁目の交差点のことを、私はいまだに尾張町の十字路あるいは交差点と呼んでいる。多少の気障な気持ちがないではないが、子供の頃から言い慣れた尾張町の語呂のほうがしっくりと来て、「御張町の角でさぁ、車がぶつかってんだよ」などと仲間内で話しては、おれたちゃ江戸っ子なんだという狭量の世界に遊んで胸を膨らませている。 |
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| 忘れられないのは日劇地下のアルビオンで、タバコをくわえるとダンサーが胸の開いたドレスの乳房の谷間からマッチをだして擦ってくれた。胸の谷間が見たくて一箱三十円のパールを、すぐ空にしたものだ。日劇ミュージック・ホールは最高だった。なにしろ舞台が華やかで、ストリップ・ガールたちがこの世のものとは思えない美人揃い。トニー谷が出てきて「レディス&ジェントルマン&おとっつあんおっかさん」とやると、観客が総立ちになった。
社会に出て骨董屋の修行をするようになってから、私にとって銀座は遠いものとなっていった。たまに仕事で並木通りを通ると、銀座はよそよそしくて、私にとって他人行儀な町になっていた。仕事一筋で脇目もふらずに歩いていくものだから、銀座のほうで敬遠したのかもしれない。 |
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| 銀座がふたたび私のテリトリーになって戻ってきたのは、ここ十年ぐらいのことだろうか。骨董商の仕事も一段落して、タレント稼業として人生第二のスタートをきった頃からで、まず老舗バーのカウンターへ行ってマティニーをきこしめし再開のご挨拶としてみた。現役の骨董商時代、仕事絡みでバブル紳士たちと歩きまわったクラブは健在だろうか。一万円札を丸めて胸元に投げつけられていた子鹿のような彼女たちはどうしたかなぁ。喧嘩した寿司屋のおやじ、百合根のスープが自慢で、店をひとりで切り回していた洋食屋のばあさんはどうしたろ。 ここのところ歌舞伎にはまりだしてから、東側が詳しくなってきた。あの頃は西側だけでゴロまいていたものだから、三原橋から向こうは私にとっては治外法権の場所だった。それが木挽町の小屋通いがはじまったとたんに、あの界隈ぐんと島がふえている。 銀座はやっぱりいいなぁと思う。「ちょっと銀座いってくる」といって家の玄関を出る。いつものことで家内は行く先も聞かないし理由も聞かない。こっちだって別に銀座に用があるわけじゃない。寒いときゃコートの襟を立てて、暑いときはすっきりまかしこんで、表通りをしばらく歩いてスイッと東か西の横丁へおれていく。そんなとき銀座に遊ぶよろこびが背中のあたりをツンとすぎていく。いつまでたっても、銀座はやっぱり「いい仕事」をしているよ。 |
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